ヘミシンク体験から小説へ
文学の成立と神話の発生。
歌謡の誕生と儀式。
宗教の起源と変性意識との関係。
なんだかみんなつながりがあるように思います。
文字のない時代、文学はリズムとメロディをともない集団で記憶を保持していたかもしれません。
やがて、文字を得た文明は、それを記すようになります。
文学の発生でした。
記録方法には、いわゆる文字のみならず、紐の結び目やハワイのフラのように舞踊に
記録する方法もありました。
文字の発見は、そういう意味では、その他の方法よりも格段に、流通しやすいものになったのだと
思います。
文字以前の時代に思いをいたすと、それは、私たちが文字化せずに、感じ、考えている
まだ名付けられていないエネルギーが遠い昔から現在に至るまで流れているという気がします。
このエネルギーこそが、文学の種なのでしょう。
文字がなくても文学の種はある。
種が発芽し、花を咲かせ、実を結ぶ。
文学とは花であり、花粉であり、密であり、実であるのでしょう。
ヘミシンクのような変性意識の旅をしている人は、文学の種を沢山見つけているにちがいありません。
それが種であるかどうかも分からないエネルギーであるから、なおのこと、
私たちは、種を探し、発芽させ、栄養を与え育て、花咲かせ、実を結ばせたら、どんな文化が生まれるでしょうか。
私たちの生活を豊かにする文学は、まったく違ったものになるかも知れません。
新たなる文学の誕生は、ヘミシンク体験から始まった。
後の文学史家は、そんな風に記述するでしょうか。
なんだか、その可能性を考えているとワクワクしてきます。
皆さんも、体験を踏まえ、手を加え、体験の真実を広く伝えられるような、
ワクワクする物語を書いてみませんか。