瞑想・眠り・死

コーチングの第一人者である平本あきおさんは、毎朝四十分くらい瞑想をするそうです。

そうすると、視野が広がって、心も落ち着き、自分の軸がぶれなくなるとおっしゃっていました。

ヘミシンクではF12の状態を「知覚の広がった状態」と言います。

瞑想、といっても様々な方法があるので、一概に比較ができませんし、内的な感覚なので

余計に比較ができませんが、毎朝、ヘミシンクを聴いてあるいは、聞かずにF12に意識を

合わせるということをしてみると、同じ効果があるかもしれません。

 

モンローさんは、毎晩眠っているときにナイト・スクールに行っていたということを著書に記しています。

睡眠中のある意識状態(F21とも言われています。)において、人生上の課題や人間としての問題などに

ついて、広い意味でのガイドと仲間達とともに議論したり、考えたりしていたことに気づいたそうです。

私たちも、夢の中でいつも訪れる場所や施設があることに気づくことがあります。私も、必ずと言っていいほど

宿舎で過ごしている夢を見ます。目覚める頃は、その宿舎から帰宅するために電車に乗ろうとしているとか、

駅に向かう、車を運転する、大型バスに乗り込むなどの場面を体験して目覚めることが頻繁にあります。

実に、睡眠とは瞑想的であり、ヘミシンクでの体験と非常に似たものを感じます。ひょっとしたら、

私たちは、毎晩、睡眠という名の瞑想タイムを何時間もとっているということかもしれません。

「よく寝たからすっきりした。」というのと

「瞑想をしたからすっきりした」というのは、なんと似ていることでしょう。

 

ヘミシンクでは、この肉体が死んでも、意識の世界は永遠に続く、死後の世界があるという可能性に

ついて非常にオープンです。死んでいない私たちには、本当の意味での証拠はいつまでもつかめませんが、

おぼろげながら納得していきます。

一般的な死は、この世から存在しなくなることであり、自分の死は、無になることで一切を知覚しなくなる

と思われているかも知れません。

前後不覚の状態。特に眠るということは、深い眠りに入ると、睡眠中の外界のことを「認識しない」ことや

睡眠中の夢の詳細などを「覚えていない」ということに特徴付けられます。覚えていることについては、

「夢」と名付けられる。眠っている間は、「意識が無い」。

実は、この状態の延長上に「死」を想像している可能性はないでしょうか。まるで眠るように死んだ、などと

も言いますが、意識が永遠に続くとしたら、「死」はまさに眠りかもしれません。死後も意識は存続するならば

睡眠中も意識は存在する。ただ、なかなか「覚えていない」「外界は認識しづらい」ということです。

反対に、前後不覚の睡眠をとる私たちは、毎日死んでいるのだと見ることもできます。悟りを開いた覚者は、

睡眠中もずっと目覚めていてすべて覚えていると、聞いたこともあります。そういう方は、眠っても死んで

いないと言ってもいいでしょうが、多くの方は、毎日死を経験しているといえそうです。

ということは、私たちは毎朝、目覚めることで誕生している、ということになります。

 

ヘミシンクのナレーションに、こんなフレーズがありました。

「目覚めたとき、完全な状態、完全にバランスの取れた状態、完全に調和した状態になります。」

ヘミシンクからの目覚め、そして、睡眠からの目覚め。

死後世界の探索、そして、死の疑似体験としての睡眠からの目覚め。

私たちは、この世に新たに誕生し、完全な状態で新たな一歩を踏み出せる。

そんな気がしています。

私たちは、毎日生まれ変わっている、そんな認識で今日も生きてみませんか。